February 3, 2010

──今回、制作上で、特に留意した点はどこですか?

マイク・サンディソン(S):曲の中で1つの音から次の音に変形するようにしようとした。2小節、絶対繰り返さないような感覚。だからアルバムを通してすべてのテクスチャーは流動的で、ほとんどの曲はクライマックスか到着点がある。それが曲の原動力になるんだ。

──『Campfire Headphase』では、ギターを始め、いくつか楽器を演奏しているような展開がありますね?

マーカス・イオン(E):そうだね、このアルバムはたくさんの生楽器を使ってるよ。ギター、ドラム、パーカッション、ストリングとかも……それ等の音を加工してユニークで古風かつ美しい物に変化させたんだ。BOCのコア・コンセプトを電子的に作った音だけじゃなくて他の楽器でも適応できると思ったんだよ。だから、これは一種の音の破壊なんだ。僕達が行なう作業の大部分は、時間と場所の感覚を曲に吹き込むことだからクリーンで完璧に録音された音は一切使わない。普段は低品質なテープとかの録音フォーマットに音を詰め込んで質を下げて、そして機材に戻して曲を再構成する。タイトできれいな音楽を録ることはできるけど全然興味がないんだ。ひどくクリーンなデジタル・ワークステーションで聴くより30年前のカセット録音でアコースティック・ギターのメロディを聴く方が全然好きなんだよ。

──これまでのリリース作品には、タイトルなどにいくつか秘密が隠されていましたが、今回もそういった秘密は存在するのでしょうか?

E:そうだね、でも前作ほどではないよ。タイトルは常に何かに関連してたり暗号化された意味はある。今回もそうだけど、もっと明確な大きい絵、というかキャンバスを作って行ってる。それをリスナーに理解してほしいんだ。このレコードではわざと秘密めいたヴォーカルサンプルでいっぱいにしないようにした。音楽自体に集中してほしかったんだ。甘酸っぱいメロディが、ポジティヴで祝賀的な音と心揺さぶる悲しさを同時に歩き渡る様な作品だよ。

──デビュー当時から現在までに、制作を巡る環境にはどんな変化がありましたか? また、変わらない面は何でしょうか?

E:それは難しい質問だね。強いて言えば最近の音楽でよく作られてる水平型のグリッド、いわゆるシーケンサーに対して反発したかな。制限的に感じるんだよね。昔はテープレコーダーのみで音楽を作ってて目の前には視覚的な表示がなかった訳で固いグリッドに“はめこめられてる”っていう感覚がなかったんだよ。今はほとんどのプロデューサー、オーケストラの作曲家も含めて、無意識にグリッド的な考え方で音楽を作ってて創造性を制限してることに気付いてないんだよ。

──再び、バンドとして活動するつもりはないのでしょうか?

S:将来何かやるかもしれない。その方向に何年も引き付けられてきてるよ。メリットとデメリットがあるけどね。でもマーカスと僕は極端に何でもコントロールしたがるから、時々音楽を作ってる時に頭の中にある音と完璧に一緒にしたい時があるんだよ。そういう極度な分極したヴィジョンを持った状態で音楽を作ってると、他の人と一緒に作業するのは難しかったりするんだよね。その人にすごくパーソナルで内面的な、最もいい音楽が生まれる所のものを理解してもらわなきゃいけないからね。

インタビュー・文/原 雅明

November 26, 2009

あなたはたずねている。
「どうすればより高い精神から助けを得ることができますか?」

今この瞬間に助けは来ている! 
だがあなたは、故意に眼を閉じてきた。
誰かがあなたの眼を開けようとしても、全力でそれに抵抗している。 
「これでいいのです――暗闇、罪、悪魔、それらはあって当たり前なのです」 

たとえば、フロイトは偉大な革命をもたらした。
「人間の行動、思考の90%は性的だ」ということを明らかにした功績は偉大だ。
それは大いなる第一歩だった。
ところが、マインドが低い次元の力にのみ開いているから、
すべては誤った方向に進んでしまった。

私たちは言う「そうです。人は性を中心にしています。それは人間の本来の姿です」 
そこで、人の営みの90%が性を中心にしていることが受け容れられたばかりか、
残りの10%もそれに加えられてしまった。

低い次元にはふたつの可能性がある。
ひとつは、セックスと闘い、倒錯する。
もうひとつは、みずからの本能の犠牲になりセックスとともに流れてゆくことだ。

仏陀、マハヴィーラ、キリストはセックス・エネルギーを変容しようと試みた。
覚えておくがいい。抑圧するのではなく、『変容』するのだ。

だが、低い次元にしか開いていない人びとは
『変容』ではなく『抑圧』と解釈した。
その結果は倒錯となった。

そこから人類が脱却するためには、フロイトのような人間の出現が必要だった。
セックスは自然だということを強調しなければならなかった。
そして、人びとはもう一方の極端に向かいはじめた。

低い次元では、他方の極端に容易に移ることができる。
低い次元の開口は、『抑圧』と『耽溺』という二通りの方法だけで機能する。
両者は、両極端のように見えるが、実はそうではない。
両者はきわめて秘密裡に、密かに内通している友のように互いに助け合う。
あまりに耽溺してしまった人は、自動的に対極に引かれる。その逆も同じだ。

そのようにして、第三の可能性である『エネルギーの変容』は、
閉ざされたまま残される。

この両極端は水平だ。そして『エネルギーの変換』、第三の可能性は垂直だ。
『抑圧』も『耽溺』もしなければ、エネルギーは水平面を動くことができず、
垂直に動きはじめる。
この垂直方向の動きが『変容』だ。
この垂直方向の動きによって、あなたは高い次元の力に開くことができる。

私が、低い次元に対して閉じなさいと言うのは、
闘うのではなく気づいていなさい、という意味だ。
闘えば低い次元にとどまり、倒錯してしまう。それはさらに悪い。

誰かがあなたに腹を立てている時は、閉じているがいい。
反応してはならない。ただ気づいていなさい。
状況全体を把握し、公平に吟味し、すべての点について考慮しなさい。

まず、相手が正しいかまちがっているかを考慮するがいい。
相手が正しければ彼に感謝するがいい。
相手がまちがっている場合は、それに反応する必要はない。それは相手の問題だ。

「誰かの侮辱に対してあなたが反応するのは、相手が正しいと無意識に感じているからだ」
というのは、非常に深い心理学的な洞察だ。
相手が完全にまちがっている時、あなたは笑ってしまうだろう。

誰かが「お前は無能だ」と言う時、
どこかに無能さを感じている時だけ、あなたは怒りを感じる。
言われたことが内側に秘められた何かを打たないかぎり、反応は起こらない。
だから、全体を吟味し、相手が正しければ感謝するがいい。

近代心理学は、マインドはふたつに分割されていると指摘している。
副次的な部分が顕在意識で、主な部分が潜在意識だ。

人は自分の潜在意識に気づかない。
だが、彼に近づく人は誰でも、それに気づきはじめる。
なぜならそれは、彼の行動、仕草、ことばに表れるからだ。
あなたは自分の深いところの態度、願望、抑圧を見ることができないが、
他者はそれを見ることができる。

誰かがあなたに腹を立てている時は、その状況を吟味するがいい。
相手が正しければ、自分の無意識な部分に気づくかもしれない。
部分的に正しかったり、間違ったりしているかもしれない。
正しい部分に対して感謝し、まちがっている部分については忘れるがいい。
相手が完全にまちがっている場合は、あなたではなく相手の問題だ。 

低い次元に開いてはならないと言う時は「分析」「観察」「気づき」を意図している。
『抑圧』ではない。

抑圧すれば、高い次元に開くことはできない。
セックスを抑圧すれば、その抑圧から休暇を取ることはできない。
一瞬のすきでも、蛇はさらに強く生き生きと蘇る。
抑圧によって死ぬものは何もない。
逆に、抑圧されていたものはさらに強く蘇生する。

多くの人びとが低い次元に閉じないまま、高い次元に開こうと試みている。
そして、内側に緊張と衝突をつくり出している。
というのは、低い次元に閉じないかぎり、高い次元は開くことができないからだ。

まず、低い次元を閉じるためにあらゆる努力を意識的にするがいい。
そうすれば、時になんの努力もなく、異なった次元に気づくことが起こる。
ただ木陰に坐っているだけで、あなたは別の世界に入ってしまうこともある。

仏陀が木陰に坐っている図を見たことがあるだろう。
彼は何もしていない。ただ待っている。低い次元は閉じられた。
彼はエネルギーが充分に蓄積され、高い次元が開かれる瞬間を待っている。
多くの古い瞑想方法は、これだけのためにある。

仏陀は、低い次元を閉じることに関して多くを語った。
基本になるテクニックは「正見」だ。気づき、覚醒、観照、観察と同じだ。
仏陀は言う。
「腹が立っている時は、自分が腹が立っていることに気づいていなさい。」

それは内面における錬金術的な真実だ。
つまり、注意深くあれば、腹を立てることはできない。
腹を立てるか、注意深くあるかのどちらかだ。
怒りが起こるためには、まず無意識でなければならないからだ。
気づいていない時だけ腹を立てることができる。

低い次元に閉じていれば、高い次元は開くだろう。
そして、高い次元が開けば、多くの現象と接触することができる。
その中のひとつが、あなたがたずねていることだ。
より高い精神と交流することだ。

存在においては、何ひとつ失われていない。
仏陀はつねに存在している。キリストはつねに存在している。
高い次元に開いている人びとにとって、キリストは歴史的人物ではない。
彼は依然として存在している。
時間が消滅し、あなたは実存と対面する。

仏陀、マハヴィーラ、クリシュナは、肉体ではない。
彼らはもはや無形なるもの、永遠なるものだ。
だから、いつでも彼らとともにいることができる。
高い次元に開いていることが必要なだけだ。
なぜならその時、時間は消滅するからだ。

時空は低い次元に属する現象だ。
アインシュタインは、時間は空間の第4の次元だと言っている。
彼はそれを時空間と名付けた。

高い次元に開いていれば、非時間的、非空間的な世界に入ってゆく。
完全にちがった世界があなたの前に現われる。
高い次元と深い交流が起こる時、あなたは存在しない。

高い次元にとって、あなたは消滅する。
低い次元にとって、あなたは存在する。
これが、あなたが低い次元にとどまろうとする理由だ。

エゴ、自我、「私」という存在そのものが低い次元に属している。
高い次元に開いている時、あなたは存在しない。
あなたはただの楽器になる……。

あなたが直面する困難はただひとつ。あなたの古い習慣だ。
古い習慣は機械的になる。

心理学者たちは、マインドはロボットのようなものだと言う。
自分が身につけたことを、ロボットに与える。
そして、ロボットはそれを実行する。
一度与えればロボットは実行する。あなたは休んでいてもかまわない。
日常生活に関するかぎり、ロボットは便利だ。
だが高い次元のものごとに関しては、このロボットが問題になる。

いつ誰が自分を侮辱するか、あなたが意識的に気をつけていなくても、
ロボットはいつ腹を立てるかを心得ている。
ロボットがすべての面倒を見てくれる。
ロボットは血液に毒素を注入し、闘う準備ができてしまう。それは機械的だ。

夫と妻が交わす愛は、機械的な現象になってしまった。
いかなる気づきも必要ない。ロボットが同じことをくり返す。
そのような微妙な現象を、ロボットの支配下に置くべきではない。

スピリチュアルなプロセスに関するかぎり、ロボットが唯一の問題だ。
主導権を握りなさい。
自動的になってしまったことに気づいていなさい。
そうすれば、次第に低い次元に対する開口は閉じてゆくだろう。
高い次元が開いた時は、ほかに何もする必要はない。
すべては高い次元があなたを通して行なってくれる。

低い次元に対しては、すべきことがある。
高い次元に対しては、明け渡すだけだ――あなたは存在しない。

私たちが「仏陀」と言う時、もはやゴータマ・シッダールタではなく
高い次元の存在が主導権を握ったことを意味している。

ギータに記されているアルジュナとクリシュナとの間の葛藤は、
アルジュナが自分自身でいようとしたことにある。
アルジュナは自分自身で戦うか戦わないかを決めようとした。
彼は低い次元に基づいて決めようとしていた。
アルジュナは高い次元に開くことを拒んでいる。

クリシュナは主張した。
「低い次元に閉じ、高い次元に開くがいい。
そうすれば、あなたの側で決断する必要はない。高い次元が決断を下す。
高い次元に明け渡すがいい」

まず低い次元に閉じ、
そして高い次元のものを感じる時はいつでも、高い次元に明け渡すがいい。
あなたが高い次元のものを感じる時、それを信頼するがいい。
低い次元のものを感じる時は、けっして信じてはならない。
それを信頼してはならない。
それに対して閉じているがいい。
そうすれば、あなた自身が高い次元への掛け橋となる。

古い諺がある。
「弟子に準備ができた時、師は現れる」 
弟子が師を見つけることはできない。それは不可能だ。
師が弟子を見つけることができるだけだ。
みずからを知る者だけが、他人を知ることができる。
その時それは簡単だ――
あなたの準備ができている時、宇宙全体があなたの手助けをする。

アストラル界の助けを求める必要はない。
助けはつねに与えられる。必要はつねに満たされる。
だがその準備ができていなければならない。
宇宙的な力が助けの手を差し伸べられるように、
あなたの心の準備ができていなければならない。
だからそれは能動的な探求ではない。
あなたの受容性、あなたの準備が整っているかどうかにかかっている。

高い次元の力はいつでもどこにでも存在する。
今この瞬間に、あなたは高い次元の力と低い次元の力に取り囲まれている。
ところがあなたは低い次元の力だけを受け容れてしまう。

あなたは高い次元の力に対して開くこともできれば、
低い次元の力に対して開くこともできる。
だがその両方に対してではない。
低い次元の力に対して開くなら、高い次元の力に対しては閉じてしまう。
そして、高い次元の力に対して開くなら、
自動的に低い次元の力に対しては閉じてしまう。
意識の機構はそのようにできている。
ひとつに対して開くことができるだけだ。
どちらの方向に進むかはあなた次第だ。

まず理解すべきことは、
いかにして低い次元の力に対して閉じて、高い次元の力に対して開くかということだ。
高い次元の力はつねにそこにある。

だがあなたの協力がないかぎり、その力は働くことができない。
あなたがそれに対して開く時、ワークが始まる――扉が開けば、陽は差し込む。
扉が閉まっていたら、陽の光が扉を叩いているとしても、あなたは暗闇の中に残される。
それは太陽がないからではない。
扉が閉ざされているからだ。
あなたは太陽を招待しなかった。
太陽に対して受容的ではなかった。
あなたは、まだ客をもてなす主人になる準備ができていない。
招待状はまだ送られていない。

人はいかにして、低い次元に閉じて、高い次元に開くことができるだろうか? 
私たちは、自分が低い次元に開いている事に気づかずに、高い次元を探求している。

たとえば自分を愛してくれる人がいても、それを疑い猜疑心を抱く。
この愛は本物だろうか? 自分はほんとうに愛されているだろうか? 
相手は純粋だろうか、それとも狡猾だろうか?

腹を立てている人を、本当に怒っているのかそれとも演技かと疑ったりはしない。
疑う余地はない。怒りはつねに本物だと決まっている。
だが、愛はけっして純粋だと見なされたことはない。
あなたはつねに低い次元の力を信じる。
そこには、深く根差した、低い次元に対する忠誠心がある。

覚えておくがいい。信心とは開いてゆくことだ。
何を信じるにしても、あなたはそれに対して開いてゆく。
信頼しないマインドは恐怖ゆえに閉じている。いつまでも閉じたままだ。

まず考慮すべきことは、
低い次元と高い次元と、どちらがより信頼しやすいかということだ。
あなたはなんの理由もなく、低い次元に傾倒する。
低い次元を信頼しそれがリアリティになる。

グルジェフがまだ9歳だった時、死の床で父が言った。 
「私が、お前にあげられるものはただひとつだけ、私が人生で深く体験したことだけだ。
誰かがお前に腹を立てた時、即座に反応してはならないということだ。
24時間待ってそれから応じるがいい」

のちに彼は「この簡単な教えが、私の人生を完全に変えてしまった」と語っている。
彼は死に逝く父に、このことを一生守りつづけると約束した。
誰かが侮辱し罵詈雑言を浴びせたとしても、彼は即座に反応せず、
自分の外面と内面を見つめた。
自分に言われたこと、為されたことを受け止め、次のように言った。
「私は即座に反応することはできません。24時間後に戻ってきます。これは父と交わした約束です。」
彼は24時間後に戻ってきて言った。
「昨日は、父との約束のためにあなたの相手になることができませんでした。
今度もまた、あなたの相手になることができません」
これによって、彼の人生は完全に変わってしまった。
低い次元への道が閉ざされたからだ。
24時間は待つには長すぎる。

マインドは、ある種の圧力がある時に一瞬だけ開く。
その時期を逃せばふたたび閉じる。
その圧力の影響を許さなければ、24時間後には状況は冷たく死んでいる。
熱くなっている状態の時だけマインドは反応する。

自分にとって、怒りが不可能になったので、
彼はこのテクニックを他のことにも試しはじめた。
たとえばセックスだ。
セックスの衝動が起こった時彼はいつも待った。
24時間後にその衝動はなかった。
マインドはもはや低い次元の力の虜ではなかった。

数年間これを実践し、彼はマインドの中に別の開花が起こっていることに気づいた。
エネルギーは必ず流れなければならない。低い方の出口は閉ざされていた。
エネルギーは新しい出口を見つけなければならない。

ミサが行なわれている教会の前を通り過ぎる時、彼は祈っている人を見た。
すると、突然マインドの扉が開いた。そして祈りを捧げている人びとと一体になった。
突然、彼のマインドは高い次元の何かに開いた。

彼はさらに深い現象に気づいた。
通りを歩いている時に、ごく普通の人間が彼の横を通り過ぎた。
すると突然、その人が普通の人間ではないことに気づいた。男は神秘家だった。
グルジェフは彼のあとに従った。
グルジェフはつねに百発百中だった。

スーフィーの神秘家は、非常に秘教的な行動をとる。
彼らは、認識されるためのある秘訣を発見した。

インドの神秘家たちは大衆から離れることを望む。森や山に入る。
たとえ僧院や森に入るとしても、人びとは彼らに気づく。
そして遅かれ早かれ彼らの名は知られてしまう。
沈黙にはそれなりのメッセージがあるからだ。
沈黙は多くを伝えるメッセージを含んでいる。

だがスーフィーたちは別の方法を取った。
彼らは僧院や人里離れた山には入らない。逆に、一般の生活に融け込む。
たとえば、スーフィーの神秘家は普通の靴屋かもしれない。
あまりに庶民的で、彼が何かを知っている何者かであるとは思いもよらない。
だが、高い次元の力に開いている人はそれに気づく。

このグルジェフの内面の開花は探求の基盤になった。
彼は地図も知識もなく、インドとエジプトとチベットを訪れた。
道を模索しながら、どこに向かっているかも知らずに進んで行った。
そして突然、彼はある小道が正しいと感じるのだった。そしてその道を進んで行った。
ある時は、その道が小屋の前で終わることもあった。
そして小屋の中には神秘家が住んでいた。

高い次元に開いてくると、ものごとは非常に異なってくる。
だが低い次元だけに開いていると、高い次元に対しては暗闇を模索するほかはない。
その模索はでたらめで偶発的だ。
時には特別の何かを知ることもあるが非常に希だ。
たとえ、人生を完全に変容するような人物に出会ったとしても、
あなたはそれに気づかない。

たとえ仏陀に出会っても気づかない。
どうやってそれに気づく? あなたはまだ高い次元に開いていない。
だから、たとえ仏陀に出会っても、仏陀の低い次元の力に対してのみ開かれている。
仏陀の中にさえ、自分自身を混乱させるものを見つけだす。
仏陀はなぜこんな食べ方をするのだろう?
仏陀はなぜこんな寝方をするのだろう? 仏陀はなぜこんな……。

あなたの低い次元への開口が、
彼の仏性とはなんのかかわりもないことについて考えさせるのだ。
そして、より高い次元のものを見逃す。
あなたにできることは、低い次元の方向を見ることだけであり、
それは非常に長い習慣だ。
私たちは低い次元の力に忠実だ。
低い次元への扉しか開いていないからだ。

誰かが他人の悪口を言っていると、私たちは何の疑いもなくそれを受け容れる。
そのようにして、噂は事実となる。
これだけ多くの人々が言っているのだからそれは事実にちがいないと。
そうして、他の人びとにふり回される。

低い次元の力に開くことが習慣になってしまっている。
だから、低い次元の力があなたを引っ張っている時は注意しているがいい。
それを見守るがいい。マインドがそれに開くことを許してはならない。
なんであれ、あなたが開いている対象は、内側に深く刻まれて、
結局はそれが機能しはじめる。
だからつねに、毎瞬、気づいているがいい。
この習慣は有害だ。
高い次元に開くことへの妨げになるからだ。

人は開いてゆかなければならない。 
まずすべきことは、低い次元に対して閉じることだ。
たんなる習慣によってマインドが低い次元に対して開いた時は、
それをずっと見守ることを覚えておきなさい。
そうすれば閉じるだろう。
低い次元の力にエネルギーを浪費してはならない。
浪費しなければエネルギーは蓄積され、より高い次元の扉を押し開く助けとなる。

ひとたび、高い次元の可能性の存在を感じはじめたら、
低い次元の力について思い煩う必要さえない。
低い次元は消滅している。
あなたはすでに別の世界、別の次元、新しい存在に入っている。
そして、より高い精神からの助けを受け取りはじめる。

July 14, 2009

幸福とは、個人と宗教と政治の三極の間のどこかに存するものと思う。
幸福とは、人が他者の観点と必要を理解したところに存するものと思う。
幸福とは、人が孤立した夢に耽っていないところに存するものと思う。

ロジャー・ウォーターズ

July 10, 2009

私たちのテクノロジーは、すでに十分に複雑である。しかし、それよりも遙かに複雑な自然の造形物に対して、シンプルだと感じる瞬間が私たちにはある。その認識にこそ、プロダクトにシンプルさを与えるヒントがある。

Our technology is already complicated enough. Notwithstanding, in comparison to objects we find in nature that are far more complicated than our technology, we still feel simplicity from the nature. It is in this recognition that we discover clues to giving simplicity to product design.

July 7, 2009
July 6, 2009

私達が生きていくということは、誰を犠牲にして自分自身が生きのびるのかという終わりのない日々の選択である。近代社会の中では見えにくいその約束。約束は血の匂いであり、悲しみという言葉に置き換えてもよい。

星野道夫

June 29, 2009
June 28, 2009

Felix Buxton 「オレはあのアシッド・ハウス時代の信望者なんだ。みんながひとつになって、ひとつの理想に向かう、クサいと言われようが、それが今でもオレたちを導いている哲学なんだよ。」

Simon Ratcliffe 「”Kish Kash” ではダンス・トラックをやりたいとは思わなかったね。オレたちが見上げたヒーローたちは、もはや光を放っていなくて、何かつくるにもオレたち発信じゃなきゃダメだって気づいたんだ。それはチャレンジでもあった。やっぱり、同じジャンルの人達とつるんでいる方が心地良いからね。」

情報スピードが加速している中、メンタル的にはひどく傷んだ世界になっているのだろうか。イメージを形成する、風、鳥、星、海など、そういう言葉もメタファーになりえず未来を描写できないようなことになっている。