November 26, 2009

古い諺がある。
「弟子に準備ができた時、師は現れる」 
弟子が師を見つけることはできない。それは不可能だ。
師が弟子を見つけることができるだけだ。
みずからを知る者だけが、他人を知ることができる。
その時それは簡単だ――
あなたの準備ができている時、宇宙全体があなたの手助けをする。

アストラル界の助けを求める必要はない。
助けはつねに与えられる。必要はつねに満たされる。
だがその準備ができていなければならない。
宇宙的な力が助けの手を差し伸べられるように、
あなたの心の準備ができていなければならない。
だからそれは能動的な探求ではない。
あなたの受容性、あなたの準備が整っているかどうかにかかっている。

高い次元の力はいつでもどこにでも存在する。
今この瞬間に、あなたは高い次元の力と低い次元の力に取り囲まれている。
ところがあなたは低い次元の力だけを受け容れてしまう。

あなたは高い次元の力に対して開くこともできれば、
低い次元の力に対して開くこともできる。
だがその両方に対してではない。
低い次元の力に対して開くなら、高い次元の力に対しては閉じてしまう。
そして、高い次元の力に対して開くなら、
自動的に低い次元の力に対しては閉じてしまう。
意識の機構はそのようにできている。
ひとつに対して開くことができるだけだ。
どちらの方向に進むかはあなた次第だ。

まず理解すべきことは、
いかにして低い次元の力に対して閉じて、高い次元の力に対して開くかということだ。
高い次元の力はつねにそこにある。

だがあなたの協力がないかぎり、その力は働くことができない。
あなたがそれに対して開く時、ワークが始まる――扉が開けば、陽は差し込む。
扉が閉まっていたら、陽の光が扉を叩いているとしても、あなたは暗闇の中に残される。
それは太陽がないからではない。
扉が閉ざされているからだ。
あなたは太陽を招待しなかった。
太陽に対して受容的ではなかった。
あなたは、まだ客をもてなす主人になる準備ができていない。
招待状はまだ送られていない。

人はいかにして、低い次元に閉じて、高い次元に開くことができるだろうか? 
私たちは、自分が低い次元に開いている事に気づかずに、高い次元を探求している。

たとえば自分を愛してくれる人がいても、それを疑い猜疑心を抱く。
この愛は本物だろうか? 自分はほんとうに愛されているだろうか? 
相手は純粋だろうか、それとも狡猾だろうか?

腹を立てている人を、本当に怒っているのかそれとも演技かと疑ったりはしない。
疑う余地はない。怒りはつねに本物だと決まっている。
だが、愛はけっして純粋だと見なされたことはない。
あなたはつねに低い次元の力を信じる。
そこには、深く根差した、低い次元に対する忠誠心がある。

覚えておくがいい。信心とは開いてゆくことだ。
何を信じるにしても、あなたはそれに対して開いてゆく。
信頼しないマインドは恐怖ゆえに閉じている。いつまでも閉じたままだ。

まず考慮すべきことは、
低い次元と高い次元と、どちらがより信頼しやすいかということだ。
あなたはなんの理由もなく、低い次元に傾倒する。
低い次元を信頼しそれがリアリティになる。

グルジェフがまだ9歳だった時、死の床で父が言った。 
「私が、お前にあげられるものはただひとつだけ、私が人生で深く体験したことだけだ。
誰かがお前に腹を立てた時、即座に反応してはならないということだ。
24時間待ってそれから応じるがいい」

のちに彼は「この簡単な教えが、私の人生を完全に変えてしまった」と語っている。
彼は死に逝く父に、このことを一生守りつづけると約束した。
誰かが侮辱し罵詈雑言を浴びせたとしても、彼は即座に反応せず、
自分の外面と内面を見つめた。
自分に言われたこと、為されたことを受け止め、次のように言った。
「私は即座に反応することはできません。24時間後に戻ってきます。これは父と交わした約束です。」
彼は24時間後に戻ってきて言った。
「昨日は、父との約束のためにあなたの相手になることができませんでした。
今度もまた、あなたの相手になることができません」
これによって、彼の人生は完全に変わってしまった。
低い次元への道が閉ざされたからだ。
24時間は待つには長すぎる。

マインドは、ある種の圧力がある時に一瞬だけ開く。
その時期を逃せばふたたび閉じる。
その圧力の影響を許さなければ、24時間後には状況は冷たく死んでいる。
熱くなっている状態の時だけマインドは反応する。

自分にとって、怒りが不可能になったので、
彼はこのテクニックを他のことにも試しはじめた。
たとえばセックスだ。
セックスの衝動が起こった時彼はいつも待った。
24時間後にその衝動はなかった。
マインドはもはや低い次元の力の虜ではなかった。

数年間これを実践し、彼はマインドの中に別の開花が起こっていることに気づいた。
エネルギーは必ず流れなければならない。低い方の出口は閉ざされていた。
エネルギーは新しい出口を見つけなければならない。

ミサが行なわれている教会の前を通り過ぎる時、彼は祈っている人を見た。
すると、突然マインドの扉が開いた。そして祈りを捧げている人びとと一体になった。
突然、彼のマインドは高い次元の何かに開いた。

彼はさらに深い現象に気づいた。
通りを歩いている時に、ごく普通の人間が彼の横を通り過ぎた。
すると突然、その人が普通の人間ではないことに気づいた。男は神秘家だった。
グルジェフは彼のあとに従った。
グルジェフはつねに百発百中だった。

スーフィーの神秘家は、非常に秘教的な行動をとる。
彼らは、認識されるためのある秘訣を発見した。

インドの神秘家たちは大衆から離れることを望む。森や山に入る。
たとえ僧院や森に入るとしても、人びとは彼らに気づく。
そして遅かれ早かれ彼らの名は知られてしまう。
沈黙にはそれなりのメッセージがあるからだ。
沈黙は多くを伝えるメッセージを含んでいる。

だがスーフィーたちは別の方法を取った。
彼らは僧院や人里離れた山には入らない。逆に、一般の生活に融け込む。
たとえば、スーフィーの神秘家は普通の靴屋かもしれない。
あまりに庶民的で、彼が何かを知っている何者かであるとは思いもよらない。
だが、高い次元の力に開いている人はそれに気づく。

このグルジェフの内面の開花は探求の基盤になった。
彼は地図も知識もなく、インドとエジプトとチベットを訪れた。
道を模索しながら、どこに向かっているかも知らずに進んで行った。
そして突然、彼はある小道が正しいと感じるのだった。そしてその道を進んで行った。
ある時は、その道が小屋の前で終わることもあった。
そして小屋の中には神秘家が住んでいた。

高い次元に開いてくると、ものごとは非常に異なってくる。
だが低い次元だけに開いていると、高い次元に対しては暗闇を模索するほかはない。
その模索はでたらめで偶発的だ。
時には特別の何かを知ることもあるが非常に希だ。
たとえ、人生を完全に変容するような人物に出会ったとしても、
あなたはそれに気づかない。

たとえ仏陀に出会っても気づかない。
どうやってそれに気づく? あなたはまだ高い次元に開いていない。
だから、たとえ仏陀に出会っても、仏陀の低い次元の力に対してのみ開かれている。
仏陀の中にさえ、自分自身を混乱させるものを見つけだす。
仏陀はなぜこんな食べ方をするのだろう?
仏陀はなぜこんな寝方をするのだろう? 仏陀はなぜこんな……。

あなたの低い次元への開口が、
彼の仏性とはなんのかかわりもないことについて考えさせるのだ。
そして、より高い次元のものを見逃す。
あなたにできることは、低い次元の方向を見ることだけであり、
それは非常に長い習慣だ。
私たちは低い次元の力に忠実だ。
低い次元への扉しか開いていないからだ。

誰かが他人の悪口を言っていると、私たちは何の疑いもなくそれを受け容れる。
そのようにして、噂は事実となる。
これだけ多くの人々が言っているのだからそれは事実にちがいないと。
そうして、他の人びとにふり回される。

低い次元の力に開くことが習慣になってしまっている。
だから、低い次元の力があなたを引っ張っている時は注意しているがいい。
それを見守るがいい。マインドがそれに開くことを許してはならない。
なんであれ、あなたが開いている対象は、内側に深く刻まれて、
結局はそれが機能しはじめる。
だからつねに、毎瞬、気づいているがいい。
この習慣は有害だ。
高い次元に開くことへの妨げになるからだ。

人は開いてゆかなければならない。 
まずすべきことは、低い次元に対して閉じることだ。
たんなる習慣によってマインドが低い次元に対して開いた時は、
それをずっと見守ることを覚えておきなさい。
そうすれば閉じるだろう。
低い次元の力にエネルギーを浪費してはならない。
浪費しなければエネルギーは蓄積され、より高い次元の扉を押し開く助けとなる。

ひとたび、高い次元の可能性の存在を感じはじめたら、
低い次元の力について思い煩う必要さえない。
低い次元は消滅している。
あなたはすでに別の世界、別の次元、新しい存在に入っている。
そして、より高い精神からの助けを受け取りはじめる。